2003年理科部会夏季地学研修会
淡路島および四国北東部の断層と地質の野外観察

2003年8月4日〜5日

 神奈川県理科部会地学研修委員会主催の夏季地学研修旅行に参加した。8/4朝に西明石駅に集合し、マイクロバスで淡路島から徳島県へわたり、さらに中央構造線沿いに香川県へと駆け抜けた。以下はその研修報告である。

江崎灯台付近の断層


 江崎灯台は淡路島の北端、明石海峡大橋を降りてすぐのところにある。

 95年1月の兵庫県南部地震を引き起こした野島断層は、この灯台の下の海岸を通っている。階段の上部が右にずれている。

 当時のずれを保存したまま修復舗装した階段。2人が指さしている二箇所がもとは一致していた。画面中央を左右に断層が走る。

 上から見下ろしたところ・赤い舗装のところが断層である。海からすぐのところだ。

野島断層保存館


 北淡町小倉にある野島断層保存館。当時地表に現れた野島断層の変位箇所を建物で覆ってそのまま保存している。断層は国の天然記念物に指定されている。

 手前から向こう側に140メートルにわたって断層が現れている。断層は途中枝分かれを見せる。奥にずれた垣根が見える。

 断層の変位を示すスケール。二つのマーカーの箇所が、もとは一致していた。

 断層運動のためずれて屈曲したU字溝。右横ずれ断層がよくわかる。

 あぜと溝がそれぞれ右にずれている。

 断層の一部を掘り下げて、トレンチ調査が行われ、そのあとも保存されている。 

 トレンチ部分から断層全体を一望する。右横ずれを起こしながら、逆断層で右側がせり上がっている。

 断層の左右は違う時代の地層になっており、このような運動が過去にもたびたび起こったことを物語る。

 保存館の外、断層の延長線上にメモリアルハウスが建っている。コンクリートの塀がずれている。

 左の写真と反対方向、メモリアルハウス側から見た記念館。画面中央を断層が走る。

 メモリアルハウスの台所。被災当時の様子を復元している。この民家は被災後も数年間、そのまま住居として使用されていた。

 記念館のそばの土産物店ではこんな菓子が売られていた。迷わず買って、箱と包装紙はそのまま保存し、地学の教材としている。

油谷断層


 淡路島南端の南淡町の海岸。この海岸をかすめるように中央構造線が東西に通っている。海岸自体が断層海岸である。

 油谷の海岸の道路沿いに、中央構造線の露頭がある。

 教育委員会が設置した解説の看板。兵庫県下ではここでしか見られないと書いてある。ここは兵庫県の南端に当たる。

 植生で覆われていてやや見にくいが、中央構造線の破砕帯は画面中央を左斜め下に向かって横切っている。上側は和泉層群、下側は大阪層群淡路累層である。

 大阪層群(下)は固結がゆるい礫層である。上に乗っている和泉層群より7000万年も新しい。

 すぐ東側に現れている露頭。右が海側である。地層の傾斜がよくわかる。

和泉層群化石採集

 南淡町地野の海岸に近い切り通しで、化石を探す。このあたりの和泉層群下灘累層からはアンモナイトやイノセラムスの比較的保存のよい化石が出るという。この日は大物は得られなかったが、イノセラムスなどを確認した。
 

阿波土柱


 大鳴門橋をわたり、徳島県へ。阿波町の土柱温泉で一泊した。翌朝、近くの浸食地形「阿波土柱」を見学する。

 第四期洪積世(数十万年前)に堆積した礫層が、雨水によって浸食されてできた地形だ。

 ここは駐車場から歩いて10分ほどの波濤嶽(はとがたけ)であり、国指定天然記念物になっているが、同様の地形が山中に5箇所ある。

 固い礫がその下の層を浸食から守り、土柱地形になる。

 右上の写真の中央の土柱を真下から写したもの。

 下の層は手で崩せるほどもろい。礫は角礫が多い。

三野町の中央構造線露頭


 吉野川沿いに池田町をめざす途中に、中央構造線の露頭がある。

 「道の駅・三野」のすぐ近くの橋下に露頭が出ている。「太刀野の中央構造線」として、県指定天然記念物になっている。

 中央の黒い帯が中央構造線の破砕帯。粘土化した層が吉野川に平行して伸びる。手前側が白亜紀の和泉層群、向こう側(川側)が三波川帯の結晶片岩である。

 教育委員会によってていねいに立て札が立てられており、わかりやすい。少なくとも6000万年にわたり、断層運動が継続していることが明らかになっているという。

池田町を通る中央構造線


 池田町の西のはずれにある丸山公園から、吉野川下流方面を望む。中央構造線が写真中央を奥から手前に切っている。吉野川は左手の山際を流れる。

 左手山際の池田高校がある段丘面と、右側に広がる池田の市街の低位段丘の境に比高20mほどの急崖が中央構造線と考えられている。建物の屋根の高さの違いに注目。

ラピス大歩危


 池田町を境に吉野川上流は南北方向の流れとなり、三波川帯の結晶片岩を刻んで、大歩危・小歩危の景勝地を作る。写真は石の博物館「ラピス大歩危」の駐車場から。

 ラピス大歩危は山城情報館と同居する岩石・鉱物博物館である。建物はまだ新しい。木肌を生かした落ち着いた雰囲気の内装である。

 たまたま火星の隕石の特別展をやっていた。

 火星起源と考えられるYamato00593という隕石。展示されていたのはカットされた一断片だ。

 産地情報や説明は国立極地研究所によるもの。南極のやまと山脈のふもとの氷原で発見された。

 同所に展示されていたパラサイト(石鉄隕石)。鉄・ニッケルとカンラン石が均等に混じり合っている。

 吉野川下りの船着き場から上流のラピス大歩危の建物を望む。

 大歩危の両岸は三波川結晶片岩の大露頭である。立ち上がり褶曲した砂質片岩が独特の景観を作る。

 層の間にはさまった礫が、飴のように引き伸ばされている。広域変成作用で強い力を受けた様子が実感できる。

 さまざまな岩石がモザイク状になって、しかも左右に引き伸ばされている。

讃岐平野のビュート地形


 吉野川に別れを告げて香川県に入る。讃岐平野のいたるところに円錐形の「甘食」のような山が見られる。ビュートという独特の地形だ。

 讃岐富士とも呼ばれる飯野山。ビュートは溶岩台地が浸食されて円錐形に残ったもの。屋島のようにテーブル状になっているものはメサと呼ばれ、やがてこうなる運命。

石の民俗資料館


 香川県牟礼町にある石の民俗資料館。牟礼町から庵治町の一帯は庵治石という黒雲母花崗岩の石材の産地である。アプローチに石の彫刻が並ぶ。

 石切場から石材を運び出す工程のジオラマ。

 石切場のようす。鉄のくさびを直線状に並べて打ち込み、石を割っていく。当時はすべて人力だった。

 エントランスホールにあった浮かぶ石球。巨大な石造りの球体が噴水上に浮いていて、手で容易に回すことができる。

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