バンドン通信 

インドネシア バンドン日本人学校
松本太志先生のレポート
From April 2006

●2006年4月17日号 第2号  

バンドン日本人学校に着任し、早くも1学期が終了しました。その間、「頭ではわかっていたつもりだった」国内の学校との違いについて、毎日が戸惑いと混乱の連続でした。「百聞は一見に如かず」ということわざを、身をもって経験した1学期でした。
 そんな毎日の中で、しだいに分かってきたバンドン日本人学校およびバンドン市の姿を紹介いたします。

1.バンドン日本人学校の現在



本校は、1学期に児童1名の帰国があったため、全校児童生徒が13名になってしまいました。これらの児童生徒の半数が、いわゆる国際結婚家庭の子女です。ちなみに、両親とも日本人である子女とは、我々、教員家庭の子どもたちであり、教員以外で両親とも日本人であるという児童は2名です。

 過去には、もっと多くの企業派遣家庭の子女が在籍していましたが、近年、これらの企業のインドネシアにおける事業規模が縮小していることにともなって、子どもたちの数も減りました。これは、これまでバンドンに展開していた企業の多くが紡績会社であったことに関係します。日本の紡績会社のほとんどは、この10年で中国に生産拠点を移し、インドネシアの事業規模を縮小しています。では、その他の国際結婚家庭とはどのような人々かというと、これは多岐にわたり、日本企業現地法人の契約社員の方もおれば、こちらで事業を起こしている方などさまざまです。

2.教育上困難なこと 



 本校は日本人学校ですから、日本の教育指導要領に則った上で、在外ならではの学習活動を付加しています。したがって、学習活動のほとんどは、日本国内の学校と同じ内容に取り組んでいます。 しかし、上述のように国際結婚家庭の子女が多いことから、以下のような教育上の課題あります。

 @語彙にかける児童・生徒の指導

 国際結婚家庭の子女の何名かは、日本国内の親戚の下で長期休みを過ごしますが、バンドンにおける日常生活では、彼らの多くがインドネシア語と日本語の両方が使われる環境で育ちます。幼稚部からの日本語訓練(インドネシア人スタッフですが日本語が堪能です)の成果もあり、日常的な会話は不自由なく交わすことができるようになります。こちらに来て初めて感じたことですが、言葉は「文化」です。つまり、言葉とは単に単語と文法によって構成されるものではありません。特に形容詞などは、その国の気候風土や伝統などを理解して初めて言葉の意味合いが深まるものです。また、色々な比喩表現にいたっては、日本で生活する子どもたちにですら、そのニュアンスを伝えることが困難なものです。
 したがって、日本での生活経験がわずかしかない子どもたちの場合、言葉の裏側にあるニュアンスを汲み取ることができません。テストの問題文なども、そのことを教師が把握した上でなければ、正当な学力を診断することができないこともあります。特に、授業で教師が使う言葉は、日本国内の学校以上に色々な配慮が必要になります。難しい表現や熟語については、国語の授業に限らずそのつど説明し、児童・生徒の語彙を豊かにしていくことが求められます。

A進路指導

 今年度、私は中学校3年の担任となりました。生徒が選択できる進路は、「日本の高校への進学」「日本の私立高校が開設する在外の高等学校への進学」「インターナショナル・スクールへの進学」「現地校への進学」などが考えられます。多くの場合、日本人学校に在籍する生徒は日本国内の高校に進学します。しかし、生徒の中には、バンドンおよびインドネシア国内の高等学校を選択することも考えられます。地元の高等学校やインターナショナルスクールへの進学については、我々教師が持つ情報が限られており、まず、我々が情報を集めることからはじめる必要があります。生徒個々に対して「最善の進路とは何か」を探していくことが、これから我々に課された課題です。

3.バンドン市について

 ここ、バンドン市は、インドネシア第3の都市です。と、いっても、首都ジャカルタや第2の都市スラバヤと比べると、建物の高さや道幅などが大きく異なり、「都市」の前に「地方」をつけるとぴったりくるようなところです。
 それだけに、多少不便な面はあるものの、私のようなものにとってはそのマイナスを補って余りある「すごしやすさ」があります。


=バンドン自慢=

@気候がよい
 南緯15度の場所に北海道からやって来て、「寒い」と感じるとは想像しませんでした。日なたはさすがに太陽がきついものの、校舎内や家の中はエアコンなしで快適状態です。むしろ、乾季の朝方は、上着を着ないと寒いのです。これは、バンドン市の標高が海抜800m以上に位置することと、内陸であることによります。山にはマツの木も多く、校外の農村地帯に行くと、まるで北海道にいるような風景が広がります。

A人が穏やかだ
 現在、小学校高学年と中学生が総合的な学習の中で、バンドン市のゴミ処理とそれにたずさわる人々について調べています。バンドン市では、そこでゴミを拾う人々に子どもたちが直接質問をすることができ、また、その質問に「笑顔で」答えてくれさえします。彼らの生活が「底辺」であることは紛れもない事実ですが、そんな彼らさえ私たちの質問にていねいに答えてくれます。


   ゴミ捨て場のオジサン

B生活必需品はほとんど入手可能
 気軽に手に入らないのは日本の書籍くらいです。個人的にはそれが辛いところですが、その他のものはほとんど調達できます。ただし、豊浦で食べていたような新鮮な海産物はのぞめません。でも、それは札幌にいても同じです。 一方、「クオリティ」という点では、日本がいかにすごい国であるかということを実感させられます。シャーペンの芯ひとつ取ってみても、日本のものは恐らく世界一の品質です。「日本製品」は、世界的に価値のあるものです。


↑バンドン市最大の大型商業店舗
 ”スーパ「ル」モール” 苫小牧ファンタジー・ドームのように遊園地を 建物内に併設。広さもイオン以上! でも、買いたいものは特になし!


皆様、いかがお過ごしでしょうか。4月7日にジャカルタ入りし、翌8日にバンドンに入りました。バンドン日本人学校は、今年度、14名の児童・生徒でスタートしました。新任の受け入れから現在まで、先任の先生方とそのご家族の多大なるご配慮で、何とかバンドンでの生活をはじめることができました。14名という少人数の学校ですから、非常に家族的な仲間集団であり、教育も個々に合わせた柔軟な対応をはかることができる反面、多くの学年が1名もしくは2名という人数ですから、学校教育において大きな教育効果のひとつである「集団の高めあい」が欠落するなどの問題もあります。また、多くの児童・生徒が、国際結婚家庭の子女であることから、進路指導なども非常に複雑な問題があります。
 まだ、1日1日をやりくりするので精一杯の毎日ですが、先任の先生方とともに協力し、児童.生徒のために全力で教育活動に臨みます。
  バンドンは、赤道直下のインドネシアにおいて、標高が800mと高く、非常にすごしやすい天候です。北海道の7月中旬や8月のお盆過ぎのような気温の日々が1年間続きます。日常の生活では、ほとんどのものが手に入り、生活するうえでは非常に便利な街です。人口は250万人とも言われますが、正確なところは誰にもわかりません。街並みの規模はむしろ室蘭よりも小さいくらいです。ここでは、「夏休みまでにインドネシア語の習得」が生活するうえでの必須課題であり、とにかく今はことばを覚えることに必死です。ことばの習得とともに、世界も広がると思われますので、また、バンドンの様子をお伝えします。