なんでも 理科室
NANDEMO RIKASHITSU


     課題;「未来に向かう評価」         Feb.15.2002


        評価は終わりではなく始まりである
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 今晩は表題のテーマでリポートを持ち寄り議論しました。
 リポートだけになってしまうけれど,ここに。
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1.評価がかわる

 私たちは,評価され,評価して,これまで過ごしてきた。さらに今,これまでにない形での
評価をしようとしている。これは,私たちにとって,また,子どもたちにとっても大きな変化
である。ところで,「私たち」とはいったい誰なのか。「これまでにない形の評価」とはどの
ような評価なのだろうか。まずは,ここから考えてみる。

評価をする「私たち」とは,単に教員だけというわけではない。社会も親も,子どもの周り
にいるものすべてととらえることができる。場合によっては,たとえば相互評価では,子供同
士という関係も考えることができる。評価者と被評価者とがどのような関係にあるのかと考え
れば,この両者は,逆転することもありうる。

「これまでにない形の評価」とはいっても,存在しなかったということではない。使ってこな
かった,なじみがないという意味合いである。

相対評価から絶対評価へ。これは確かに大きな変化である。とりあえず順位をつけてしまえ
ば「相対評価」らしくなる。絶対評価になると,到達目標に達したかどうかを個々の学習者に
対して行うと同時に,それは,指導者への評価という意味合いを持ってくる。この両者の性格
は大きく違うけれど,結果を評価するという点において同じと見ることもできる。

2.教育学の立場

 小学校の実践報告から大学レベルの研究報告を含めた「教育学」のリポートを読んでいると
き,少なからず違和感を覚えたことがある。系統だって書かれているけれど,どこか化学のリ
ポートとは違って感じられた。その違いはどこからくるものなのか。

 問題意識からして主観的であるから、たどり着く先も多分に主観的である。
 化学を含めた自然科学のリポートで大切にされるのは,再現性である。それに対して教育学
のリポートは可能性ではないだろうか。対象を常に同じ条件におくことはできないのだから,
再現性は考えられず,可能性を期待することになる。

3.結果の評価と過程の評価そして可能性の評価

 小学校の通知票の表紙には,「あゆみ」「のびる力」などの文字がある。「通知表」と書く
より柔らかい印象を与えるためであろうか。

 言葉の意味から考えたとき「あゆみ」は「結果の評価」をしており,「のびる力」は「可能
性の評価」
をしていると思えてしまうが,残念ながら,中身は同じである。しかし,この言葉
の中に「未来に向かった評価」を期待していきたい。

 可能性は評価できるものではないと考えるのが妥当かもしれない。ただ,ここまでできたか
ら次はここを目標にしよう,という意味を評価にもたせることはできるだろう。絶対評価を導
入するのなら,
「できた・できなかった」という評価ではなく「次はここを目指そう」という
目標を示してあげられる評価をしていくことはできないものだろうか。
 
抽象的ではあるが,「未来に向かう評価」とは,子ども一人一人の可能性を認め,伸ばして
いく評価であると思う。

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補足 ; 通知表について

 通知表は誰が見るのか。初めて通知表を書いたときからずっと思っていることです。
本人。両親。おじいさんおばあさん。母方も父方も孫の通知表を楽しみにしてくださっています。
仏壇に供えてくださる家庭もあります。
 もうひとつ,意識していることがあります。子どもたちが親になったとき,自分の子に見せてあ
げられる通知表にしたいということです。まだ生まれていない子も,通知表を見る対象だと思っ
ています。
 こういった通知表を書きたいと思いながら,なかなかうまくかけません。難しいものです。
           


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