使い捨てないカイロ
神奈川県立湘南台高等学校 横浜物理サークル 山本明利 先日、町田の東急ハンズをひやかしていると、アウトドアコーナーの一画に 「再使用できるお得なカイロ・RE HEATER」なる商品を見つけて例に よって衝動買いしてきた。実はこの話には伏線があって、パソコン通信NIFTY- ServeのサイエンスフォーラムFSCIの「居酒屋」で同様の製品(そこではThe Heat Solutionという商品名だった。共に米国製。)の紹介があり、面白そう だなと思っていたのでピンときたのである。製品は図1のような形状で、シー ルされた厚手のビニール袋にやや粘性のありそうな無色透明の液体が封入され ている。私の購入したものは携帯用の小さなもので\1900だった。ちょっと高 い気がする。 図1製品外観(中央がトリガー) 袋の中には液体と共にボタンほどの大きさの円形の金属板が入っている(図 2)。説明書には「トリガー」と書いてあった。つまりカイロの発熱を開始す る引き金である。トリガーは磁石につくので多分鉄だと思われる。やや出っ張 っている側を袋の外から指で「プチッ」と押すと・・・・アーラ不思議!トリ ガーの所から見る見る結晶が成長していく(図3〜5)。それまで透明な液体 だったものがたちまちのうちに白く「凍って」しまうのだ。そして、大量の凝 固熱が放出されて、カイロは40〜50[℃]の手ごろな温度になる。 図2トリガーボタン 図3トリガー付近から再結晶が始まる 図4再結晶は見る見る進行して・・・ 図5ついに袋全体が凝固し、発熱する つまり、常温で過冷却状態にあった液体が、何らかのきっかけで一気に凝固 し、潜熱を放出するのである。使ったカイロは袋のまま煮立ったお湯で5〜6 分湯煎すると融けてまた元の透明な液体に戻り、室温に冷やしても液体のまま でいるので何度でも再生使用できる。燃料物質の酸化反応を利用する一般のカ イロと異なり、空気を遮断していても発熱するので、工夫次第で面白い応用が 考えられそうだ。 さて、このカイロの中に入っている不思議な物質はいったい何なのだろうか。 袋にはsodiumacetate、すなわち「酢酸ナトリウム」CH3COONaであると 記されている。これは、おそらくどこの学校の薬品棚にもあるありふれた物質 で、一般にも食品添加物や分析試薬として使われている薬品である。調べてみ ると、含水塩CH3COONa・3H2Oは約58[℃]前後で結晶水に溶けて水 溶液となり、120[℃]で無水塩となる、とある。これなら自作もできそうだ ということで、化学室から薬品をいただいてきてさっそく作ってみた。 まず、試薬が無水塩の場合は、加熱しながら水に溶かして飽和溶液に近い水 溶液を作る。このまま空気中に放置すると、水が蒸発するため表面に微結晶が 生じ、それを核に一気に再結晶が始まってしまう。ある程度さましたところで、 まだ熱いうちにビニール袋に入れて封をしてしまうのがコツである。この際、 閉じ目・結び目付近で液体がはみ出して、外気に触れることのないよう十分注 意する。過冷却液体の入ったビーカーに種結晶を落として結晶させるのもそれ なりに見ごたえのある実験ではあるが・・・ 私の場合、トリガーには書類を束ねるダブルクリップを用いたが、女性の髪 を止めるクリップ(俗称プッチン)を使った実践例もあるそうである。このカ イロの自作は、化学分野ではかなり前から実践されているようで、私のオリジ ナルでもなければ、新しい話題というわけでもない。ただ、私としては初めて 目にした再結晶が進行するありさまがあまりに見事なのと、トリガーの機構に 若干興味を覚えたのでここにご紹介した次第である。 トリガーが、機械的刺激によるのか、変形に伴う発熱・吸熱などによるのか は、これを紹介したYPC(横浜物理サークル)例会の席でも議論されたが、 まだ結論をみていない。液体だけでは、たたいたり、手で振ったり、床に落と したりしても再結晶は始まらない。中に金属製の「異物」を入れ、それにスト レスを加えて解放する際にトリガーがかかることが多いようである。しかし、 自作カイロではストレスを加えつつある時に反応が始まることもあり、何が直 接のきっかけになっているのかよくわからない。製品の方はほぼ百発百中でト リガーがかかるので、このへんに微妙なノウハウがありそうである。
物理教育通信第84号(1996)、YPCニュースNo.96(96/03/07)掲載