「自然というもの」 それでも池をつくる
学級だより「アンダンテ」 No.157 1999/03/04
昨日の夕方,池を見に行きました。さっそく,遊んだあとがあります。ガマをひきぬき,
池の外へほうりなげ,土を踏み荒らしてありました。
同じことが繰り返されています。
自然というものは,常に,乱雑な方向に進むことになっています。きれいにした机の
上が,みるみるうちにきたなくなっていくのは,このいい例です(正確な例ではないけ
れど)。 きれいに保つには,相当のエネルギーが必要になります。いつも机の上がき
れいな人は,やっぱり,毎日努力しています。これは,私の苦手な分野のひとつです。
きれいにしたいと思いつつ,また,1年たってしまいました。学校をかわったときに,いっ
とききれいになるのですが,それも長続きしません。今度こそ!と思っているのですが。
さてさて,これはどうでもいい話です。
池のこと。きれいにしておくためには,いたずらをする子以上に,こちらが作業を進め
ていくことしかないのかもしれません。ただ,相手が土や植物なので,根を張るまではど
うにもなりません。また,そのとき引き抜かれても,どうにもなりません。
こうしてみると,池作りは,あきらめたほうがいいのかとも思ってしまいます。
今日,「中央小30年誌」を配りました。社会の時間に,20年誌の続きとして見ました。
「私たちが入学したときには,池はなかったんだ」と,3年前,入学直後の写真を見て話
している子がいました。
子の子達の記憶のどこかに,池のことが残るかもしれません。もうすこし「池づくり」を
していこうという気持ちに,不思議なほど,させてくれます。
いたずらをする子より,1回だけ多く片付けをすればいいだけです。
<1999/03/04>
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