21世紀の 教師のための情報学入門 ///情報発信術 ///
【 文章の書き方 】
情報発信のための基本は,やはり,文章だと思います。HP作りが盛んになり,画像を簡単に使うことができるようになりましたが,文章の大切さは変わるものではありません。
「楽しい理科授業」 1996年3月(No.351)-明治図書-に書いたものをここに紹介しておきます。
ところどころ訂正したい部分が出てきますが,1996年の私の記録として,そのままにしておくことにします。
/// 研究紀要・論文の書き方 : どこを変えるとよくなるか ///
明確な主張と読みやすい文章
1 研究紀要・論文と実践記録を区別する
「授業」を対象に研究するわけですから,研究紀要に授業記録が入ってくることは必要ではあります。ところが,
授業記録が紙幅の大半を占めている紀要をしばしば目にします。これは,実践記録として発表したほうが適当
ではないかと思ってしまいます。
もちろん,授業記録が紙幅のどの位を占めるかが重要というわけではありません。では,研究紀要と実践記
録とはどのような違いがあるのでしょうか。一般的な定義をみてみようと事典を開いてもその項目がないか,あ
っても期待するほどの記述がされていません。
これは,いままで研究紀要・論文と実践記録とが余り区別されてこなかったことの現われかも知れません。そ
れらを区別するところに,読まれる紀要・論文にするための重要な視点がありそうです。
2 形式としての「仮説」
表紙に「研究紀要」とある冊子を比較してみると,発行機関によってその構成に大きな特徴が見られます。比
較した研究紀要は
1) 県内公立学校
2) 県教育センター
3) 教育関係の学会
が発行したものです。
2)と3)には大きな違いは見られません。しかし,1)にはそれらにない項目が見られます。「研究の仮説」です。
この点については「科学の方法」(新生出版)の中で高橋金三郎が次のように書いています。
>先生方の研究報告で目につくのは,「仮説」とか「検証」の名の区別があることです。お聞きしま
すと,「研究には仮説があるべきだから」ということです。けれども,学術・研究報告は全世界に
多数ありますが,わざわざ「仮説」だの「検証」だのと区別しているものがあるでしょうか。
「研究の仮説」を否定する意味合いで引用したわけではありません。しかし,公立学校の研究紀要・論文を読ん
でいると,形式として「仮説」や「検証」を取り上げているとしか思えないものに多く出会うことも事実です。
3 検討項目を明確にする
問題は,仮説の分析にあります。「仮説」の中に含まれている内容が豊富なままに「研究紀要」を執筆してい
る,もう少し踏み込むと,授業実践している例が多いのです。仮説を私たちの問題意識ととらえるとその存在価
値はあるのですが,それがあまりに広く,「研究」として検討していく内容が見えにくくなっている紀要が多いよう
です。センターや学会の紀要に見られるように,研究の
目的 方法 結果 考察
をはっきりとさせることが必要でしょう。
「研究の仮説」という項目のある論文を読むときより,「研究の目的」とある論文を読むときのほうがより具体的
で,わかりやすいものが多いように感じます。その理由としては,
研究の仮説・・・検討項目が多く論文の焦点がはっきりしない
研究の目的・・・検討項目がはっきりしている
ためだと思われます。
これらは結果としてこのようになっているというものですが,やはり,書き手の意識に大きく影響されていること
でしょう。慣例的な側面があるので,「研究の仮説」を取り去ることは難しいかもしれません。その中で,読まれる
紀要・論文にするためには,
何を検討するのか
をはっきり述べるようにすることです。
4 期待通りの内容
「研究主題」や「研究仮説」のうたい文句に期待して紀要や論文を読み始めます。しかし,主題や仮説を読んだ
ときの期待は,だんだん薄れていきます。これが繰り返されると,紀要・論文離れとなってしまいます。
期待が薄れていく原因はただ一つ。わからないからです。少なくとも,ここでは,
何をどのような方法で検討するのか
検討した結果はどうであったか
の記述さえあれば,わからないという状態だけは避けることができます。
「研究主題」はとかく大きくなりがちですが,検討する内容自体は,要点をしぼり,主張が明確になるようにしま
す。
このようにしていくためには,ただ授業記録だけが並ぶという「論文」では不十分になってきます。
授業記録の中から,検討する内容にそった箇所を取り出し,分析する
ということが必要になってきます。これだけでも,ずいぶんと紀要・論文の内容に変化がみられるようになります。
まずは,この点を変えてみることにします。
授業全体の流れは,実践記録に任せてしまうくらいの思いで紀要・論文に取り組んでみることです。全体にわ
たると,どうしてもあれもこれもという思いになってしまい,論点を絞ることが難しくなってしまいます。読み手から
すると,わかりにくい文章になってしまうということです。
5.論文と実践を分けている例
「ソニー教育振興財団」が募集している課題論文の要項には
論文 実践事例 資料
の3つに分けてまとめるようにあります。応募論文を読むと,これらを区別することで論旨が大変はっきりしてく
ることがわかります。
これは,構想の段階からそれらを区別しているからです。やはり,意識して書かなければ変わるものではあり
ません。
6.読みやすい文章を書く
研究紀要・論文の内容面をいくら変えていったとしても,読みづらい文章では最後まで読む気になれません。
やはり最後は文章を書く練習をするということになります。
1)常態・敬体の統一
ひとつの文章の中でこの二つが混在していると大変読みにくいものになってしまいます。当然のことなのです
が,しばしば混在した紀要を見かけます。
2)歯切れのよい文章
まず,一文の長さを見直してみることです。接続語を多用して一文が長くなると,一般的には意味が取りにく
くなります。少なくとも,研究紀要向きではありません。 歯切れのよい文章は,そのまま,分かりやすい文章に
なります。
3)見やすい紙面
紙面が図形的に見やすいと,精神的に読みやすいものです。段落や行あけの工夫をしていきます。
4)否定語をさける
肯定の文と否定の文とどちらがイメージしやすいかということです。文章の書き方の本を開くと多く目にするこ
とです。「肯定の文は絵で表現できるが,否定の文を絵で表現することは難しい」といいます。
5)参考・引用文献を明示する
紀要・論文を書いているとき,自分の思いに一致した文章を見つけると引用したくなるものです。引用すること
は決して悪いことではないのですが,いかにも自分が書いたかのように表記することは避けな.ければなりませ
ん。ルール違反であることはもちろんですが,文章を練習していくうえからも,これは大変なマイナスです。
6)読み直す・読んでもらう・書き直す
紀要・論文の目的は,自分の主張を人に伝えることです。ところが,何を言いたいのかはっきりしない文章に
しばしば出会います。
読み手を意識して書いたものでも,どこか独りよがりの表現があるものです。時間を置いて読み直すだけでも
それは発見できます。人に読んでもらうと,さらにはっきりしてきます。専攻教科や職業を異にする人に読んでも
らうことができればより効果的です。
その後に書き直した文章は,読みやすく,主張も明確になっています。
7)文章はひとり歩きする
文章は,発表された時点で筆者の手を離れます。その後は訂正したり,付け加えたりすることはできません。
このことをどれほど意識するかで,紀要・論文の内容は大きく変わってきます。
8)やはり最後は内容
とはいえ,内容が貧弱では,いくら読みやすい紀要・論文でも読後の満足感は貧弱なものになってしまいます。
明確な主張をもち,読みやすい文体の紀要・論文を書くためには,結局は,問題意識をもった授業実践という
ことになります。ただ授業をして文章にまとめるだけでなく,主張をもった授業に取り組んでいくことです。
参考文献:古郡廷治「論文・レポートの文章作法」有斐閣新書1992