Sep/18-19 1999
彼岸花土手駈けて来るランドセル S.57 靜生
奈良の中村さん「ヒガンバナの部屋」 筒井さん「飛鳥のヒガンバナ」
2000 ヒガンバナオフ・・・ ///残念ながら,2000年ヒガンバナオフは中止///
///実現したいですね!!///
1. 9月18日 第1部
愛知県半田市 新見南吉記念館
18日半田での参加者です。南吉記念館の中で,左から,鈴木 久さん 橋本陽江さん 小田,そして 中村敏広さん。
記念館の中で待ち合わせをして,全員そろいました。
中村敏弘先生にここのところをもう少し詳しく話していただきます。
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新美南吉記念館の喫茶室で 橋本陽江さん 鈴木久さんと会ったときには正直ホッとしました どうなるかな---? と心配していた ことしのヒガンバナオフがここに成立したからです。
館内の展示を 見学 ときどきわかったことや興味を感じたことなどの情報をおたがいに交換しあいました。ひとりで見るのとは違って気づかないことの発見があって有益でした。
日記や手紙の展示の多いのに興味を持ちました南吉はたいへんによく日記を書いたし,それが残っている。ていねいな字で読みやすい写真では小学校の代用教員を4カ月やったときの子どもたちと並んでのものがおもしろかった。先生のお腹までぐらいしかない子どもたちといかにもやさしい新美先生といい雰囲気を感じます。ときに南吉18才。
私たち3人がほぼ見終わって「小田さんどうした---?」と気にし出したころ タイミングよく小田さんが現れました。私も初対面。想像していたよりも若々しい,元気な青年教師でした。 パーティはとたんに若返った感じになりました。
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私といえば,運動会の練習を終え,急いで電車に乗り,そう,南吉が半田から安城に通った線路をたどり,皆さんのところへ向かいました。武豊線では下校途中の高校生の中にいて,少なからず<年>を感じていました。中村先生の「若々しい」というひとことは,「想像していたよりも」という但し書きがあっても,少しばかり,ほっとします。
2.人に会うこと 人とはなすこと ///学級だより「らんどせる」
Sep.20/1999 より///
18日土曜日,学校がおわってすぐに,半田に向かいました。宮城,兵庫,愛知から,理科の先生が集まりました。南吉記念館と付近のヒガンバナを見て,その後,奈良県明日香村へ移動。そこで大阪,奈良の先生と合流。次の日(19日日曜日)は,明日香村の文化財とヒガンバナを見てまわりました。
これらの打ち合わせは,全て,コンピュータを通して行いました。パソコン通信です。どういうわけか,どの人も携帯電話は持っていないのです。ちょっと不思議な現象かもしれません。
コンピュータを使う通信,電子メール(E-mail)は,相手の都合にお構いなしに送るものではありません。相手は都合のよいときに読むことができるからです。
これに対して,電話は相手の都合を考えずに送るわけです。携帯電話はその最たるものなのではないかと思います。大変便利な道具ですが,気持ちよく使うには,ずいぶん配慮の要る道具だと思います。
当日の連絡はちょっと不自由しましたが,宿泊先に取り次いでもらいどうにかなりました。
ふだんは,コンピュータを通して「理科」の話をしているグループです。お互いに顔を合わせることはそんなにあるわけではありません。それだけに,近くにこういう機会があるときには参加したいと思うわけです。
以前は,プリントや雑誌を通して,今はコンピュータを通してやり取りしていると,その人に会ってみたくなる。人に会うと,その人のことがわかると,それから後のやり取りがとてもわかりやすくなる。
このあたりに,コミュニケーションの基本があるように思います。
3.半田のヒガンバナ
その中山から,すこしはなれた山の中に,
「ごん狐」という狐がいました。
ごんは,一人ぼっちの小狐で,
しだのいっぱいしげった森の中に穴をほってすんでいました。
お午がすぎると,ごんは,村の墓地へいって,六地蔵さんのかげにかくれていました。
いいお天気で,遠く向うにはお城の屋根瓦が光っています。
墓地には,ひがん花が,赤い布のようにさきつづいていました。
「ごん狐」
記念館から名鉄半田口駅までヒガンバナなどを見ながら歩きました。
近鉄の改札口近くの喫茶店で,電車の発車時刻まで4人の話は続きました。
新美南吉記念館
475-0966 愛知県半田市岩滑西町1-10-1
Tel (0569)26-4888
9月23日 彼岸の中日。 もう一度,南吉記念館にでかけてきました。人がいない部分の写真ですが,実際は大変にぎわっていました。