天合峰
幻境の碑
幻境の碑
北村透谷の名作「三日幻境」の舞台

島崎藤村らと共に、ロマン主義文学の代表的存在だった北村透谷は、16歳のとき天合峰の北の麓、 川口村森下で地元の秋山国三郎らと生活を共にし、自由民権運動や文学への夢を育んだ。その美しい 舞台となった風土を「幻境」と表現した。
やがて、透谷は自由民権運動に挫折し、熱愛の妻・美那子との愛と文学論にも行き詰まった。7年後、 再訪した森下で透谷は国三郎夫妻から温かく迎えられた。2階から国三郎と並んで外を見た。南の 空に天合峰の稜線が黒々と見えていたはずである。

絃月は我が幻境をてらして、朦朧(もうろう)たる好風景、
得も言われず。

国三郎有っての幻境であった。この感激を透谷は「三日幻境」という作品に残したが、心の傷は癒えず、 1年半後25歳の若い命を自らの手で絶った。