確率の世界には数多くのパラドックスがあります。その大半は,数学的に導かれる結論と 人間の直観とが一致しないことから起こるものです。そのひとつに有名な 「モンティ・ホールのジレンマ」があります。それについて考えてみようというページです。突っ込み,疑問,茶々などは記事の下のほうに,自由に書き足してください。


パラドックスの内容

登場人物や小道具のバラエティはいろいろありますが,どれもパターンは同一です。

登場人物(2名) あなた,真実を知るえらい人

小道具 中身が秘密の箱3個,ただしそのうちの1個だけに宝が入っている

芝居の情景

あなたは今,3個の箱の前に立っています。
箱のひとつだけに宝が入っていることをあなたは知っています。
しかし,どれに入っているかはわかりません。
あなたは当てずっぽうに1個の箱を選びました。
えらい人が現われ,選ばれていない2個の箱のうちの1個を指差して言いました。
「この箱には宝は入っていない」

さて問題

えらい人が別の箱を指して「これには入っていない」と教えてくれた時点で,少しでも自分に有利に振舞おうと思ったら,あなたは一体どうしたらよいのでしょうか?

  1. 選択を変更したほうがよい
  2. 変更しても別に確率は変わらないのだから,そのままでもよい

お答え

もう答えちゃいます。

答えは,「選択を変更したほうがよい」です。ちょっとびっくりですね。この筋書きは,アメリカのクイズ番組の最後で司会者のモンティ・ホールが賞品を出すのに使っていた方法だということです。3つのドアがあり,出演者が当たりのドアを開けると賞品がもらえるという趣向で,そこに司会者が「助言」するという仕掛けです。

出演者がどう振舞ったらよいかというのは,重要な問題ですね。ある人が「選択を変更したほうが有利である」と雑誌のコラムに書いたところ, 数学者を含む多くの人が「確率は変わらない!」と主張して大騒ぎになりました。 しかし,結局はこの数学者は誤っていたわけです。

さて,みなさんはこの問題をどう考えますか?


いよいよ登場ですねえ。わくわくします。普段は見るばかりの方も、ここはほれ、参加して下さい。と、そこで,私からも一つ。この問題の条件のうち,「箱が3つ」というのはどういう意味があるのでしょう。あるいは意味がないのか?

おっと,さすがに目の付け所が鋭い。もちろん箱が2つならこの問題は成立しないから3以上でなければなりませんが,じゃあ4とか5だったらどうなるんだ?・・・と考えることは,問題の核心を探る上でヒントになるでしょうね。しかし,より大きな数への拡張には,ある勘どころ(「落とし穴」ともいう)がありますから慎重に!

「変わらないから何もしないでいい派」の主張は,たぶん次のようなものでしょう。

自分が選んだ箱に宝が入っている確率は 1/3 だ。
えらい人がその後何をしても,当たっている確率は変わらないはずだ。

いえ、こうじゃないですか

 残った2つの箱のうちの1つだから1/2だ

これに対しては,モンティの問題設定とは直接の関係はないのですが,似た設定の次のような議論が浮かんできます。

目隠しして振ったサイコロの目を 3 と予想して掛け金を払った。
予想が当たっている確率は 1/6 だ。
その後目隠しをとって見た。そしたら 3 が出ていた。
確率は1だ。

うーん,なんか変ですね。確率を教わった中学生が言いそうだ(大人もいうかな)。だけどこの考えに対してどう応じればいいのでしょうか。そもそも確率って何なんでしょうか?

モンティからさらに逸れるのか少し戻るのか,あるいは上の問題提起「みる前・みた後」も絡むのかわかりませんが,人から聞いていまだにすっきりしない次のような問題もあります。

おじさんが親戚の子どもを前に,お年玉袋を二つ並べて言った。
「一方のお年玉袋には他方のお年玉袋の2倍の金額のお金が入っ
ている。好きな方をあなたにあげるので,選びなさい。」
子どもが選んであけてみると,1000円入っていた。おじさんはまた言った。
「1度だけ,交換してもいい,というチャンスを与えよう。もちろん,
交換しなくてもいいよ。」
子どもは考えた。
「2つのお年玉袋のどちらを選ぶかは,まったく五分五分だった。
だから,取り替えたときに金額が2000円になるか,500円になるか
はまったく五分五分だろう。だったら,期待値を考えれば1250円に
なるから取り替えた方が得だ。」
横で見ていたこの子のお姉さんに,おじさんはまったく同じゲームを
仕掛けた。姉がお年玉袋を選んで開ける直前に,おじさんは言った。
「今度は,袋を開ける前に取りかえるチャンスを与えよう。どうするかい?」
姉は考えた。
「弟の考えたことは,1000円という金額には無関係だ。袋の中の金額をx円
としよう。取り替えたときの金額は,0.5x円か2x円かのどちらかで,
その可能性は五分五分のはずだ。だから期待値は1.25x円となり,取り替え
た方が得だ。」こういって,封筒を取り替えようと手を伸ばした。
が,そこでまた考えた。「上の論法が正しければ,一度取り替えようと決心
して,でもまだ封筒を開けていないときに,改めて考えてみれば,
また取り替えた方が得だということになる。そこでまた考えてみれば
取り替えた方が得になって・・・」
とうとう姉は2つのお年玉袋の間で身動きがとれなくなってしまった。
いったい上の考えのどこが悪かったのだろうか?

「選びなおし」が絡むところがモンティと少し似ているかな?でもモンティと違って,選んでから以後新たな情報は何も与えられていないので,そこで取り替えた方が得になるというのはいかにもおかしい。上の姉弟の議論が間違っているはずだが・・・。意地の悪いおじさんと考え深い子どもたちですが,だれかすっきり説明できる方がいたら教えてください。

脱線大いに歓迎です。ネタが長続きしますから(^^)。さて,このお年玉の問題は,おじさんが胴元なんですよねえ。だからおじさんの立場から考えるとどうってことはなくなります。おじさんは2通りの封筒しか用意してませんから,もって行かれる金額の期待値はそれらの平均です。ところが子供たちのほうはというと,結果的に3通りの金額を想定することになりますね。その妥当性はどうなんでしょうか。

そうですね。たとえばサイコロの場合なら,6通りの出方はいずれも起こり得ることで,結局3が出たとしても,結果がわかった後から振り返っても出る可能性のあった目は6通りだった,ただそのうち何がでるかは事前にわからなかっただけだ,ということになります。でも,上のお年玉の問題は,1000円を前にして500円,2000円と3通りを想定している。で,あとから両方あけて振り返ってみれば(あるいは胴元の視点から見れば)じつはそのうちの一つは最初から決して起こりえないものを考えに含めていたということになる。このあたりに問題がありそうなのですが,では,「この問題は設定が悪い」で済ませるのもひっかかる。現実に考えうる上のような状況を確率の言葉で表現するにはどういう方法をとればいいのでしょうか?(ところで上の問題,もうすこし無味乾燥な設定だったのを書きながら脚色したのが不徹底で,お年玉袋が途中から封筒になってますね。)

確率を考える上で最も重要なポイントは,当然のことながら,「確率とは何か?それはどう解釈したらいいのか?」ということです。これは多分総論としては異存のないことでしょう。ところが,このポイントが実はあいまいなままで進んでしまっているのではないでしょうか。じゃあ,ある事象が起きる確率というのは何でしょうか。

確率を考える前提と,その上で確率 pが与えられる状況は次のようなものです。

このとき p は何を意味するのでしょうか。それは

ということですね。このように,確率を頻度で解釈,表現することでより的確な理解や意味の伝達が可能になるという実践的な研究がアメリカでなされているようです。

つまり,確率や期待値を考える時には,何回もの試行が少なくとも思考実験として可能であるという状況が必要です。お年玉を出すおじさんにはそれは可能。子供たちにとってそれはどうなんでしょう。

たとえば,おじさん役がランダムに2つの封筒にx円と2x円を入れ,子ども役がコインを投げて一方の封筒を選んでから両方の封筒を開き金額を調べる,という実験を繰り返す。たくさんの実験結果の中で,選んだ封筒の中の金額が1000円であったケースだけを拾い出し,そのときの他方の封筒の中身が2000円の場合と500円の場合の頻度を調べる,という実験は考えられないでしょうか。おじさんが「ランダム」に封筒に入れる額を決める,とはどういう状態かな。おじさんの選ぶ金額の対(x,2x)は,少ない方の額を定めたら自動的に多い方の額は決まるから,xで代表させて,根元事象の全体は{(x,a)|xは自然数,aは表or裏}かしら。無限離散集合上の確率?各根元事象が正の等確率を持つとすると全事象の確率が無限大に発散する。xの上限を定めておいて,あとから大きくして極限をとるのかな。なんてことを考えていつも放り出すのです。何か迷路にはまり込んでるのかも。


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