放送衛星の「月による食」

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                                        神奈川県立湘南台高等学校
                       横浜物理サークル 山本明利

 去る1995年10月24日、インド北部から東南アジアにかけて皆既日食が
あった。日本では部分食だったが、あいにく全国的に天気が悪く、沖縄を除いて
観測できた地点はほとんどなかったようである。ところで、同じ日の夜、日食を
起こした直後の月が放送衛星を隠し、BSとWOWWOWが放送を休止するとい
う比較的珍しい現象が起きた。
 BSの深夜放送休止は珍しいことではない。赤道上空にある放送衛星は宿命的
に春分と秋分の前後数十日間は、深夜、地球の影の中を通過することになるため、
電源である太陽電池の出力が低下し、放送ができなくなる。BSファンにはおな
じみの現象である。しかし、今回の放送休止は夜とはいっても日本標準時(JS
T)で21:30から23:25という「宵の口」の出来事だった。地球ではな
く月の影による食が原因という点が珍しいのである。
 地球上で日食が観測できる地域が限られることからもわかるように、月の影は
非常に小さい。皆既日食が起きるためには観測者が月の本影の中に入らなければ
ならないが、その幅はたかだか数百kmのオーダーであって、たまたま月が地球か
ら遠い時期に日食が起きれば、本影の円錐(本影錐という)は地球に届かず、金
環食となることさえある。今回のインド日食では、地上での皆既帯の幅は約
100kmだった。その影が放送衛星をねらいうちにしたのである。
 図1図2図3は地球の北極側から見た各天体の配置である。Gはグリニッ
ジを通る本初子午線、Jは明石を通る東経135度の子午線で、BSやWOWW
OWの放送衛星は東経110度の赤道上空約36000kmにある。
 全地球的に見た日食は、10:52JSTに中東で始まり、北インド、東南ア
ジアを経て、16:13JSTに南太平洋上で終わった。平面図で見ると放送衛
星は日食の最中にも月の影の中を通りそうに思えるが、この日は月も太陽も赤道
面の南10度余りのところにあり、本影錐は南から赤道越しにインドを隠したこ
とになる。したがって衛星は赤道面内から見ると、図4のように本影錐の北側を
かすめたと思われる。このように、地球の公転軌道面(黄道面)、月の公転軌道
面、放送衛星の公転軌道面(ほぼ赤道面)は互いに傾いて交わっているので、地
上で日食が起こるときには、放送衛星の月による食も必ず起こるというものでは
ない。
 月の影は地上に日食を起こした後、図3のように地球を外れて、地球の公転軌
道の外側で衛星を捕えた。衛星は日食を見た地表よりだいぶ遠くから月を見るこ
とになる。衛星からはどんな光景が見えたのだろうか。皆既日食になったか金環
食にとどまったかは、概略次のようにして推定できる。
 今回の皆既帯の幅は100km弱だから、月や太陽の視直径0.5゜から、地球に
かかった本影錐の長さを

      100km/tan0.5゜≒1.15×104km

と概算することができる。これは地球の直径以下だから、この本影錐は地球の内
部で閉じてしまいそうだ。図3のように地球軌道より外側にいる放送衛星からだ
と、良くて金環食、中心をはずせば部分食にとどまりそうである。いずれにせよ
太陽が大きく欠ければ太陽電池の出力が低下して放送はできなくなる。2時間と
いう放送休止時間は明らかに前後の部分食の時間を含んでいる。

 蛇足ながら、NHKの期待通りに事が運んで、1997年に次期放送衛星BS
ATが上がると、これは大容量バッテリーを積んでいて「食」をものともしなく
なるので(予定)、次回の「月による食」が何年先か知らないが、そのころには
このことは話題にならない可能性がある。放送休止に先立って各局が流した「お
ことわり」の画面も多分今回が見納めということになるだろう。その意味で今回
のことは貴重な体験だったのかもしれない。
 曇って日食の観察が空振りに終わったこの日、私は生徒と共に日食を見ている
はずだった授業でこの話をし、「曇って残念だったが、日食はいつかまた見られ
る。それより珍しいことが今夜起こる。きっとそれは二度と見られない。家にB
Sの受信設備がある人は今夜必ずBSを見るように。」と、告げた。何人の生徒
が見てくれたかは知らない。
 BSATが影の中でも放送ができるなら、ぜひ小型カメラを登載して衛星から
の日食の模様を生中継してほしいものである。地球や月によって太陽が隠される
画面はすこぶる感動的かつ教育的なものになるに違いない。そしてその日食は決
して曇ることはないのである。

【参考文献】YPCニュースNo.93(横浜物理サークル)(PDF版270KB


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