「いちご」 1960年代のイチゴ栽培
古い箱の中から,たまたま見つけた1枚です。写っているのは,私。たぶん,1963年か64年です。
蒲郡でイチゴの栽培が始まったばかりの頃です。
協同で出荷作業をしていました。生産者番号を決めるために,くじ引きをしたそうです。我が家の番号
は「1」。つい最近まで,この番号でした。なんとなくうれしかったことを覚えています。
さて,栽培の方法は。
私の後ろに写っているのがイチゴです。ほんの小さなビニルのトンネルです。支柱に使っているのは,
竹です。その上に網をかぶせています。海苔の網です。その頃,三河湾では海苔の養殖が盛んでした。
そこで使ったものを譲り受けていたのだと思います。ビニルや網を固定するぺグは,これもまた,竹を使っ
ていました。節をうまく使って,ぺグをつくっていました。写真の右側に,ビニルの上を覆っているものが写
っています。わらで作った「こも(あらくおったむしろ)」 です。保温のために,これをかけていました。私の
後ろに写っているのは「いなむら」です。
後ろの風景は,五井山と石山神社。地元の人にとっては,なつかしい風景です。
今でこそ,ビニルは毎年張り替えます。光の透過率と,ビニルハウスの強度を保つためには,張り替え
なくてはなりません。
でも,1960年代初めというと,ビニルはまだまだ高価な品物でした。5月。イチゴの収穫が終わると,
家の横を流れる川で使い終わったビニルを洗い,初夏の日差しで乾かし,冬までとっておいて,次の年に
また使ったものです。
そうそう,栽培していた品種は「ダナー」甘酸っぱいイチゴでした。
リンゴでは「国光」がなつかしいように,イチゴでは,この品種をなつかしく思います。
ふと見つけた1枚の写真から,あれこれ思いだします。