江ノ島の自然 2000/10/15

10月の活動は地元の観光地、江ノ島の自然観察です。江ノ島の昔と今を比べながら、地質を中心に勉強します。


集合場所の片瀬江ノ島駅は竜宮城のイメージ。その前で小野先生のお話をうかがいます。

江ノ島は堆積した砂浜(陸繋砂州・トンボロ)で片瀬海岸とつながり陸繋島となっていました。この弁天橋はその砂州の上に建設されましたが、現在は橋脚の補強工事のため砂がとりのぞかれ橋の下は海になっています。

江戸時代の画家、安藤広重が描いた江ノ島。まだ弁天橋はなく、聖天島が分離した島として描かれています。

現在の江ノ島と弁天橋。聖天島は1923年の関東地震で隆起して江ノ島とつながり、東京オリンピックの時、周囲が埋め立てられてヨットハーバーの一角に取り込まれました。

弁天橋の日時計。この時間は薄曇りだったのではっきりしませんが、10時10分ぐらいのところに影がきています。

日時計にはこのような時差表がついています。10/15のところを見ると−32分と読めます。10時10分−32分で9時38分が正しい時間というわけ。ほぼぴったりでした。

ヨットハーバーの一角の聖天島。関東地震以前は文字通り島で、みんながいるところは昔は海でした。散歩していたおばあちゃんは当時のことをおぼえていました。

聖天島の崖は絶好の地層観察ポイントです。このへんの地層は逗子層といって、500万年〜700万年前に堆積したものと考えられています。

聖天島の地層は火山礫や火山灰でできています。この層は大粒のスコリアや安山岩の岩片をたくさん含んでいます。

聖天島の上部の地層は互い違いに斜めに交わるクロスラミナ(斜交葉理)という構造になっています。このことから流れのある海岸で堆積したことがわかります。

防波堤を越えて婦人会館の裏の海岸に出ました。蜂ヶ須の海食地形を観察します。50m以上もある海食崖がそびえています。足元の平らなところは隆起波食棚(海食台)です。海面下にあったのが関東地震で隆起しました。

断層などの割れ目から浸食されて海食洞ができます。海食崖を作っている地層は江ノ島の本体を形成している地層で葉山層群大山層といいます。1500万年以上前の堆積物と考えられています。

波食棚の上にあいた丸い穴はポットホール。くぼみにはまった小石が波にもまれて床を削りこんだものです。

海食崖の上には関東ローム層が見えます。6万年前の箱根火山の噴火で堆積した火山灰層です。白く見える太い帯は東京軽石層。

表参道の階段を上って江ノ島神社へ向かいます。神社の前を右にそれた市民の家の近くが観察ポイントです。

道の脇の崖を見ると、ぽつぽつと親指が入るぐらいの穴があいています。岩に穴を掘って棲む穿孔貝という貝があけた穴です。ここが昔海岸だったことがわかります。

島の頂上の植物園に着きました。ここでお弁当を食べます。そのあと向こうに見える展望台に登ります。

展望台は老朽化が進んだので間もなく解体される予定で、これが見納めかもしれません。湘南海岸が一望できます。


左が片瀬海岸、弁天橋が見えます。中程に小動(こゆるぎ)岬、七里ガ浜の海岸を経て、右に稲村ヶ崎が見えます。


植物園にあったオジギソウ。

ちょっとさわると見る見る葉を閉じて枝が垂れ下がります。

温室内の壁一面に下がっているウツボカズラ。食虫植物です。ポケモンのウツボットのモデルですね。
参道の途中で関東ローム層と地形を観察します。山二つという地名は、島が断層線に沿って浸食され、ここで二つに分かれているように見えるためです。

浸食された部分が深い谷になっています。昔海食洞があって、その天井が崩落したとも言われています。向こうに見える波食棚の海岸まで下ります。

江ノ島の裏側の海岸に着きました。海食崖と波食棚からなる海食地形がよくわかります。関東地震で隆起してできた地形です。

お岩屋という海食洞に通じる道。立派な橋ができて整備されました。

広重が描いたお岩屋の入り口。当時は波食棚の地形は現れていませんでした。波が洞窟の入り口を洗っています。

暗い洞窟の内部。崩落で一時立ち入りが禁止されていましたが、補修工事がすんでまた見学できるようになりました。中は観光地化されていて、科学少年団にはちょっと・・・

活動が終わる頃に雨がぱらついてきました。片瀬江ノ島の駅に集合して小野先生のまとめのお話をうかがい、解散しました。今日もよく歩いたね。お疲れさま。

BACK一つ前のページへ

天神のページ・メニューへ戻る

To HOMEホームページに戻る