子供と共に科学を楽しもう  (PDF版537KB

山本明利

 まず自己紹介をしておこう。筆者は神奈川県立高校で物理の教鞭をとり、YPC(横浜物理サークル)という自主研修サークルの一員として活動している。YPCは物理の教員有志が運営しているサークルで、月に一度例会を開き、サークル誌を発行している。会員は教員のみならず学生、主婦、社会人など多様で、話題も物理にこだわらず、興味の赴くまま和気あいあいとサイエンスを楽しんでいる。このサークルのホームページが貴会のお目にとまり、インターネットが取り持つご縁で思いがけず本稿を執筆することになった。門外漢の場違いな議論になることをおそれるが、そういう事情なのでご容赦願いたい。

科学を楽しむ

 生徒に科学の楽しさを伝えるためにはまず教員自身が科学を楽しまなければならないと思う。教員が科学する心を失っていては生徒の科学の芽を育てることはできまい。YPCのコンセプトは「とりあえず自分が楽しむこと」である。YPCの例会には毎回多くの話題が持ち寄られるが、その多くは身近な題材であり実験を伴う。教室ではやはり実験が一番インパクトがあり、教材として有用だからだ。実験器具が持ち込まれてその場で皆で追試をし、改良を行い、ノウハウを学びあう。夢中になって夜が更けることもしばしばである。二次会の酒席でも議論は続く。
 比較的最近盛り上がった話題のいくつかを列挙してみよう。その一部はインターネット上でご覧いただくこともできる。

●トリチェリーの実験
 水銀柱で大気圧を示すおなじみの実験。実験装置の改良や液体を変えての比較実験へ。水、硫酸バリウム縣濁液、テトラブロモエタンなどにも挑戦。

●U−CASの自作
 おもちゃの空中浮遊磁力ゴマの原理解明から理論的考察、自作へと発展する。

●スターリングエンジン
 夢のエンジンのモデルは試験管、注射器とビー玉という身近な素材で作れる。

●人工虹スクリーン
 工業原料の微小透明プラスチックビーズを黒い紙に塗布して水滴の代替とし、人工虹を作る。一躍、全国的なブームを巻き起こして教材として定着した。

●ファインマンの逆スプリンクラー
 庭の散水用スプリンクラーを水槽に沈め、そこから水を抜いたらどちらにまわるかの実験検証。

●感電実験の安全性
 教室で行われる感電体験はどこまで安全か。理科教育の盲点を徹底追及。

●電子レンジの周波数
 電子レンジのマグネトロンの発振周波数2.45GHzは分子の共鳴周波数ではない。それはどのように決められたのか。

●真空中の逆さコップ
 水を満たして厚紙でふたをしたコップを逆さにしても水はこぼれない。では、そのコップの周りの空気を真空ポンプで排気したら?

●自ら膨らむゴム風船
 ヘリウム風船はゴム膜を気体分子が通過するためやがてしぼむ。ではヘリウム雰囲気中に窒素入りの風船を置いたら?

 いずれも物理教育上重要な話題を含むが、研究業績にならないので大学の研究者たちに取り上げられることもなく、金にならないので企業も手を出さない、そんなテーマである。しかし身近でも未解明の現象は多く、話題には事欠かない。生徒にもそんな身近な科学を楽しむ心を育んでもらいたいと思う。

誰が「理科離れ」しているのか

 さて、わが国では近年、子供達が「理科離れ」しているという。はたしてそうだろうか。国立教育研究所の調査ではわが国の小学生の85%は「理科が好きだ」と答えているという。この数字は国際平均値でもある。少なくともこの年齢において「理科離れ」などという現象が起こるとはいささか考えにくい。子供は本来好奇心旺盛なもので、それは人間という生き物の本能とも言うべき性質だからだ。問題は学年進行と共に上記の比率が急速に下がるという点にある。
 YPCでは毎年夏に科学技術館で行われる「青少年のための科学の祭典」に出展するなど、各種科学啓蒙イベントに積極的に協力しているが、そこで出会う子供達の目はちゃんと輝いているし、反応もよい。ふだん授業で相手をしている高校生はややシラケ気味なので、本業よりもやりがいを感じることさえある。そんな会場では二通りの親子連れを見かける。子供と共にイベントを楽しんでくれる親もいる反面、子供が嬉々としているのを離れて見ているだけという親もいるのである。子供には好奇心が残っているのだが後者のような親はすでに関心を失っている。
 最近、気になる話を耳にした。小学校教員の「理科放し」が進んでいるというのである。小学校では原則として学級担任が全教科を教えるのだが、一部の科目について「専科」の教員を置くことがある。その科目のときだけ教員が交替するわけである。担任が手放したがる科目の筆頭が理科だというのだ。体育や音楽といった科目ならそれは理解できなくもないし、昔からあったことだが、「理科放し」というのは意外だった。実験やその準備を伴うので煩わしいと思われるのだろうか。実は「理科離れ」しつつあるのは大人であり教員だったのではないだろうか。

教員養成制度の欠陥

 この現象には思い当たるふしがある。それはわが国の教員養成のシステムだ。小学校の教員になるためには大学の教育学部をめざすのが普通である。一方、理工系学部へ進学した学生が小学校の教員免許を取得しようとすると様々な困難にぶつかる。おまけに高等学校や予備校での進学指導では、教育学部はいわゆる「文系」に位置付けられていて、理数が得意な者は主として理工系学部をめざすこととなる。結果、小学校教員には理科苦手意識が卓越することになる。小学校教員は非常によく研修を行っているが、それでも潜在的な苦手意識は払拭しがたいのだと思う。小学校教員を責めることはできない。これは制度的欠陥なのである。
 理科教育では初等教育における興味付けがことのほか大切である。そこでの失敗は学年進行と共に理科嫌いを増加させ、理科の教員層をさらに薄くする。この悪循環を断ち切り、バランスのよい教員配置を実現するためには、理工系から小学校教員への門戸を広く開放すべきだと考える。
 大学入試制度やその出題内容について批判する世論にもうなづける部分はあるが、一方的に大学側を責めることはできないと思う。子の将来に期待する親、進学指導をする中学・高校教員、大学やその卒業生を受け入れる企業の論理もあり、互いの利害は対立する。そこには常に建前と本音が見え隠れし、事態が急速に改善されるきざしはない。とりあえず実現できそうな制度改革として上記をあげてみた。技術立国のわが国としては理科教育の振興は国是であると考えるからである。

情報通信が築く新時代の理科教育

 YPCは全国の理科サークルに先駆けて電子メディアに進出した。NIFTY-Serveの教育フォーラム上で論陣を張り、独自のホームパーティやメーリングリストも持っている。いち早くホームページも開設した。これらのニューメディアが、閉塞感のあった理科教育に新たな突破口を開いてくれそうだという期待があったからだ。時間のかかる制度改革を待たず、今われわれにできることから始めようと考えたのである。
 幸い、教員の間にもパソコン通信やインターネット環境は急速に普及してきており、全国のアクティブな理科サークルとの連携も実現しつつある。各地のサークルどうしが緩やかに結びついた、どこにも中心のない巨大組織の構築、それがYPCの「インターサークル構想」である。インターネットにならって命名した。実現すればそれが21世紀の理科教育を作っていくかもしれない。
 大風呂敷はともかく、ニューメディアが理科教育に大きな力を与えてくれたことは事実である。それは電子化された教材の普及を意味するのではない。電子通信により教員相互の連携が深まったことが重要なのである。通信手段の進歩が時間と空間の制約をとりはらってくれたのは言うまでもないが、全国規模の小・中・高の校種間交流をいとも簡単に実現してくれたことがさらに評価に値する。自治体と教育委員会組織の違いという壁に阻まれていた交流が個人レベルでスムーズに行えるようになった。パソコン通信を通じて、私たちは小・中学校の実情を知り、これを支援することができるようになった。専門分野の方からのコメントも直接いただける。誠に心強いことだ。
 例えばNIFTY-Serveの「教育実践フォーラム・専門館」FKYOIKUSの5番会議室【理科の部屋】、あるいは「化学の広場・テーマ館」FCHEMTの2番会議室【教育・放課後】には学校現場からの素朴な質問が多数寄せられる。もちろん化学に関する話題も多い。インターネット上にも横浜国大教育学部が主宰する「理科教育メーリングリスト」をはじめ、多くのメーリングリストがあって活発な情報交換が行われている。こうしたところへ、最先端の研究者や企業の専門家の方々から生の情報がいただければ百人力である。それらはすぐに全国の教員を勇気づけ、教育現場で生かされるだろう。貴会会員からも、全国の教員たちに熱い声援と貴重なアドバイスをいただければ幸いである。

化学工学 第61巻第10号(1997)掲載 (PDF版537KB

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