不思議な水中逆さコップ (PDF版554KB)
神奈川県立湘南台高校・山本明利
【1】大発見は風呂場から生まれる?!
「お父さん、おもしろいよ。」・・・初夏のある日、私と入浴中だった6年生の息子が、こんな発見をしました。わが家の浴室には水鉄砲がわりの注射器やペットボトル、プリンカップなどのガラクタが置いてあって子供のおもちゃになっています。ピストンを抜いた注射器のシリンダーをもてあそんでいた息子は、その先端を指でふさいで内部に空気をため、湯舟の底に立てて泡を立ちのぼらせようとしたのでした。穴をふさいでいた手を放すと思惑通り泡が出てきたのですが、そのあと大変奇妙に見える現象が起こったのです。
「空気が入っているのに浮かばないよ、この注射器。」・・・注射器は両手を放しても湯舟の底にはりついたままで、浮かんでこないのです。シリンダーはポリエチレン製で水より若干軽い程度の密度で、重くて沈んでいるわけではありません。それなのに、シリンダーはかなり長時間にわたって泡を出し続けながら、水底にとどまり続けるのです。空気がほとんど出切って、泡が出なくなるとシリンダーはゆっくりと浮上してきます。
空気が入っていれば軽いから浮かぶのは当然、という先入観があるので、この現象は私にもとても不思議に思えました。さっそく二人であれこれ条件を変えて実験を始め、その夜はすっかり長湯をしてしまいました。アルキメデスの昔から、お風呂は大発見の舞台なのです。
【2】スチロールカップで再現実験
この現象の解明のために、いろいろと条件を変えて実験するには、透明なスチロールカップが便利です。安くて入手しやすく、密度もほぼ水と同 じで、透明で内部がよく見えるので観察に適しています。このスチロールカップの底にドリルで大小の穴をあけ、逆さにふせて水槽の底に立てて実験します。
空気が漏れないように指で穴をふさぎ、水槽の底に立てたら、まず穴を開いて泡を出し始めます。次に手を放すとカップは前述の注射器と同様、水底にとどまって泡を出し続けます(図1)。
水は下から浸入してきて、ゆっくりとカップ内を満たしていきますが、カップが浮かぶことはありません。水がほぼカップ一杯になって泡が出なくなると、カップは静かに水底を離れます。
【3】穴の大小による違い
考察に入る前に、実験事実をいくつか示しておきましょう。スチロールカップの底にあける穴の径は現象にどう影響するでしょうか。直径2,4,6mmの穴をあけたカップで比較実験してみました。
浮上するまでの時間は、水が浸入する速さに関係するので、水槽の底面の状態やカップの個体差に依存する要素があります。穴が大きいからといって、必ずしも早く水がいっぱいになって浮かぶというものではありません。しかし、ひとつだけはっきりしているのは、穴が小さいものほど、最終的により多くの空気を残したまま浮上してきます。6mmの穴をあけたものは空気がほとんど残りませんが、2mmのものでは厚さにして1cmほどの空気が残留している状態で泡が出なくなり、浮上をはじめます。浮上時のの速さは、より多くの空気を残した、穴の小さいものの方が速くなります。
【4】水の流入路をあけたら
これまでの実験では、カップを単に水底にふせるだけでしたから、水はカップの縁と水槽の底の間をくぐってカップ内にしみこんできます。それでは水の流入路を積極的にあけてやったらどうな るでしょう。図2のように、水底に台を置いて、水がカップ内に流入できるように穴をあけておき ます。
穴の径を色々に変えて実験してみると、台にあけた穴が、コップの穴と同程度かまたはそれより小さい場合、カップはこれまでと同様、沈んだまま泡を出し続けます。しかし、台にあけた穴の径が大きすぎると、カップはすぐさま浮上してしまい、目的の現象は起こりません。カップから空気が抜ける速さと、カップ内に水が浸入する速さの大小関係が絡んでいるようです。
【5】浮力とは何だったか
さて、この現象の考察を始めるにあたり、「浮力」とは何だったかを確認しておきましょう。もちろん浮力は、流体中の物体表面に対して流体からはたらく圧力を面積分したものです。したがってこの現象では、カップ内の空気には水からの浮力がはたらきますが、カップ自体は逆さにふせて底がない状態なので浮力ははたらかないことになります(カップ自身の厚みは無視しています)。カップが浮き上がるとすれば、それは空気が天井を押す力が、水が天井を押さえ付ける力を上回った場合に限るのです。現象のポイントはカップ内の気圧と、天井のすぐ上の水圧の比較にあります。
【6】穴なしカップが浮かぶのは
穴をあけないカップを水中にふせれば、浮かんでくるのは当たり前に思えます。実際に実験してみてもその通りになります。そのしくみはどうなっているのでしょう。図3のように諸量を定義すると、カップ内の気圧は水の浸入を阻止すべく、下部の水圧と等しくなっていなければなりません。空気は圧縮されて体積が縮み、圧力が上がっているわけです。したがって
となって、天井の上下の力は空気からのものが勝り、カップを浮上させることになります。
【7】穴あきカップが浮かばないのは
さて、いよいよ本題です。穴あきカップはなぜ浮かばないのでしょう。それはまさに天井に穴が開いていて、空気が漏れてしまうからだと考えられます。もしも内部の空気圧が大きくなれば、空気はすみやかに泡を作って穴から出てしまいます。したがって内部の空気圧はいつも上部の水圧と等 しく、
となっていると考えられます。圧力がつりあっていれば、カップは動きません。絶えず泡を出すこ とによって、動的な平衡が保たれているのです。
カップの天井に複数の穴をあけておくと、泡が出ると同時に雨漏りがするという面白い光景を見ることができますが、その際他の穴の水面(気液境界)は凹になったり凸になったり振動しています。水が浸入して圧力が上がると泡が押し出され、その瞬間に圧力が下がってカップはまた押し下げられます。平均としてはつりあいながら小刻みに振動しているわけです。
ところでこの場合、
となるわけですから、空気の下部の水面ではつりあいは成り立っていません。内部の空気圧が低いので、水は絶え間なく流入してきます。その漏れが少ないほどこの状態は長続きします。前述の【4】の実験で穴が小さい必要があったのはこのためと考えられます。
【8】最後に浮かんでくるのはなぜか
それなら、穴から出る泡が止まるとカップが浮かんでくるのはなぜなのでしょう。その秘密は表面張力にあると考えられます。泡が穴から頭を出して上に凸な半径rの球面を作っているとき、表面張力σによって、球面内部すなわち空気側が
だけ高い圧力になっています。下から浸入してくる水がこの圧力差に打ち勝って空気を押し出すことができなければ、泡は止まってしまいます。するとこのΔpの分だけ高い空気圧が常時天井に加わることになるため、水圧に打ち勝ってカップと空気は上昇を始めるのです。rが小さいほど残留空気が多かったのは、浮き上がるときのΔhに対して
という関係が成り立つためだったのです。これが【3】の実験事実の説明です。
【9】水の慣性も重要な要素?
泡が出ようとする瞬間にはカップは上記のΔpにより一瞬上向きの力を受けているはずですが、カップは水の大きな慣性のため、大きく動くことはなく、次の瞬間には泡が切り離されて水面がへこみ、Δpが負となるため逆向きに押し付けられることになります。浸入する水は空気ほど俊敏に動けないため、カップが元の位置に復帰する時間が十分稼げるというしくみもこの現象の背後にはあるのではないかと想像しています。
【10】おわりに
風呂場の遊びに端を発したこの探究活動は、YPCの例会を大いに賑わせました。APEJの皆さんが中国の学会に参加されたおり、この現象を紹介してくださって、海の向こうでも評判だったとのことでした。「軽いから浮く」という先入観がこの現象を奇妙に印象付けます。われわれがまだ流体を十分理解していない証です。身近なところにもまだまだパラドックスはころがっていそうです。
【99/07/09 YPCニュースNo.136に掲載】 (PDF版554KB)