春分の日付 添付図版はここか文中の下線のついたリンク文字をクリックすると見ることができます。   (PDF版533KB

湘南台高校・山本明利

「春分の日」は官報で定められる

 今年も「春分の日」が近づいてきました。お気づきと思いますが、今年(1998)の春分の日は3月21日で、昨年(1997)、一昨年(1996)の20日と日付が違います。お彼岸の中日とされる春分と秋分の祝日は「国民の祝日に関する法律」では、

  春分の日:自然をたたえ、生物をいつくしむ日 春分日
  秋分の日:祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ日 秋分日

とされています。つまりこれらの祝日だけは日付が固定されておらず、それぞれ春分、秋分の瞬間、すなわち太陽の黄経が0゜、180゜となる時刻を含む日として、天文学的な予報にしたがって官報により定められます。ですから、官報にその記事が載るまでは「春分の日」の日付は正式には未定ということになります。

「春分の日」の日付の予報

 とはいえ、天文学的な現象ですから、かなり先々まで正確な予報を出すことは可能なはずです。教務部の行事予定の係などを務めている関係もあって、将来の「春分の日」の日付がどうなるのか興味がわいて調べてみました。
 添付した資料は「天文資料集」(東京大学出版会)\3200(ISBN4-13-062122-X C3044)P.150からの引用です(Web掲載にあたり同じイメージを表計算のグラフ機能を使って表現しました)。1800〜2110の毎年の春分の時刻が示されています。わかりやすいように近年については西暦年を加筆しました。ご覧のように、来年(1999)の「春分の日」は今年と同じ3月21日ですが、2000年、2001年は昨年同様3月20日になります。ここしばらくは21日の年と、20日の年が二年づつ交互に訪れることになります。21世紀の半ばを過ぎると、以後数十年の間は「春分の日」は3月20日で安定します。2088、2092、2096年はなんと3月19日にまでずれこみます。これはわが国が暦法にグレゴリオ太陽暦を採用して以来初めてのできごととなります。なお、過去には1903、1907、1911、1915のように春分の日付が3月22日となったこともありました。たぶん当時は「春分の日」は法定されていなかったと思いますが。

暦法と置閏法

 グラフが4年ごとに左へジャンプするのはもちろん「閏年」のせいです。西暦年が4で割り切れる年は2月29日が追加されますから、「春分の日」の日付はまる一日若くなります。次にこの閏について復習してみましょう。
 「理化学辞典」(岩波書店)によれば、現在、わが国をはじめ世界のほとんどの国が採用しているグレゴリオ暦法は、1582年ローマ法皇GregorioXIII世がLuigi Lilioの提案に基づき、天文学者Claviusらを顧問として制定した太陽暦です。Lilioが事業半ばで他界したためClaviusがあとを引き継いだもののようです。わが国では1872年に採用され、翌1873年1月1日から実施されました。
 それ以前にヨーロッパで用いられていた太陽暦、ユリウス暦法はB.C.46年、ローマのJulius CaesarがSosigenesを顧問として制定し、以後約1600年間にわたって用いられました。ユリウス暦では閏年には2月24日をくり返して置いたようです。2月29日を加えるようになったのはグレゴリオ暦からです。
 さて、地球の自転と、公転の周期の間には特に物理的関係がありませんから、太陽日と太陽年は整数比をなずはずはなく、1太陽年=365.2422太陽日と端数が生じます。このため閏を置いて端数を調整する必要が生じます。
 ユリウス暦では4年に1日の割合で閏を実施しますから、1太陽年≒365+1/4=365.25太陽日と定めているわけですが、これだと実際より0.0078日多いので、千年あたり8日ほど暦が遅れてきます。ユリウス暦が用いられている間には13日ものずれが蓄積していったことになります。
 グレゴリオ暦の実施にあたり、ニケーア会議で定められた復活祭計算上の規約にしたがい春分を3月21日とするため、ユリウス暦1582年10月4日木曜日の翌日をグレゴリオ暦1582年10月15日金曜日とする清算が行なわれました。暦を10日切り詰めて遅れを取り戻したわけです。しかし、上記のようにCaesarの時代からは13日の誤差が積もっていたはずで、残る3日がどこでどう処理されたのかは手元の文献にはなく、現在調査中です。 グレゴリオ暦ではより近似を高めるため次のような置閏法をとります。

 (1)西暦年が100の倍数でないときは4で割り切れる年を閏年とする。
 (1)西暦年が100の倍数のときは400で割り切れる年を閏年とし他を平年とする。

 (1)の規則はユリウス暦と同じですが、(2)の規則で400年に3回閏年を間引くことになります。これにより近似は1太陽年≒365+1/4−3/400=365.2425太陽日となり、誤差は0.0003日、すなわち平均して1年にわずか30秒足らずの遅れとなります。それでも3000年ほど経つと新たに1日の調整が必要になりますが、さしあたり心配することはなさそうです。

西暦2000年は閏年?

 さて、20世紀最後の年、西暦2000年は閏年でしょうか、それとも平年でしょうか。上記のグレゴリオ暦法にしたがえば(2)の規則により400で割り切れるので閏年だということになります。つまり普通の4で割り切れる年と同様に扱ってよいわけですから、ここ当分は4年に一度のペースで閏年を設けていけばよいわけです。
 ここでもう一度添付資料の図をご覧ください。春分の時刻は一年ごとに約6時間(1/4日)ずつ遅れていきます。逆にいうと暦が早く巡ってくることになります。365.2422という数の少数部分のせいです。このずれが蓄積しないように4年に一度暦に1日を加えて春分の時刻を引き戻します。これが第一次近似のユリウス暦です。
 しかし、この補正はやや過大であり、こんどは逆に4年につき約1時間ずつ暦が遅れてしまいます。この誤差は1世紀分で約1日になるので、世紀の替わり目の年には閏を置かないことにして暦を早め、その清算を行なうわけです。ここまでで近似は365.24日となっています。これが第二次近似です。この第二次近似が行なわれるときには、XY96年からXZ03年にかけて7年間にわたって閏年がなく、春分の時刻は毎年約6時間ずつ遅れていきます。グラフを参照するとこのようすがよくわかります。
 ところが、毎世紀これを行なうとまたまたやりすぎで、1年分に平均して約3分ちょっと暦が進むので、これを400年分ためて1日に近くなったところで再び閏を入れることにします。これがグレゴリオ暦というわけです。西暦2000年はこの第三次近似が400年ぶりに実施される珍しい年なのです。西暦年の下二桁が00なのに閏が行なわれるのは1600年以来で、人類史上2度目の珍しいできごとなのですが、おそらく一般市民はこれに気づくことなく「いつもと同じ4年に1度の閏年」と思って2000年2月29日を通過するのだと思います。
 「夏のオリンピックが開催される年であって、2月に29日がない年」を体験するためには2100年まで待たなければなりません。それまでオリンピックが平和裏に継続していることを願わずにはいられません。


【98/03/05 YPCニュースNo.120 に掲載】 (PDF版533KB


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