特集:最近の「青少年のための科学の祭典」−その意義と課題−

ローカルに・・しかしグローバルに

山本明利 神奈川県立湘南台高等学校

初の「神奈川大会」を終えて

 ’99年1月23・24日の両日、川崎市の神奈川サイエンスパーク(KSP)において、「青少年のための科学の祭典・神奈川大会」が開催された。私は、YPC(横浜物理サークル)の仲間たちと「虹・アラカルト」のタイトルで光の実験をテーマにブースを構えた。
 東京の科学技術館で毎夏行われる全国大会に比べ、小規模であるとはいえ、会場には朝から小学生を中心に熱心な観客がつめかけ、ブースはいずこも熱気に包まれた。人数制限のあるワークショップの申し込みには、整理券を求めて長蛇の列ができた。私のいた3階のブースは、1階のメイン会場からやや離れた所にあり、観客にとってはわかりにくかったようだが、それでもフロアに人が絶えることはなかった。
 こうして、初めての神奈川大会は幸い大きな事故もなく、好評のうちに幕を閉じたのである。会場のようすはインターネットでレポートしてある。下記のURLを参照されたい。

http://www2.hamajima.co.jp/~tenjin/album/festival/99sfkana.htm

「虹のトンネル」の成功と終結

 この神奈川大会に先立つ3年間、私はYPCの仲間たちと共に、同じく光をテーマにした「虹のトンネル」を全国大会に出展してきた。内川英雄・浜崎修両氏が開発された教材「虹スクリーン」を啓蒙する、YPCをあげてのプロジェクトだった。大がかりな暗室通路による人工虹のディスプレイは大いに好評を博し、多くの人々に光の不思議を印象づけ、教育関係者には理科教材としての「虹スクリーン」の威力を示してきた。「虹のトンネル」等、全国大会でのYPCの取り組みについては下記にレポートしてある。

http://www2.hamajima.co.jp/~tenjin/album/physics/98making.htm
http://www2.hamajima.co.jp/~tenjin/album/festival/98saiypc.htm

 「虹のトンネル」を出展していた3年の間に、各地に地方大会が芽生え、理科教育復興の気運が高まってきた。全国大会の規模も年々拡大し、ついに応募者数が会場のキャパシティを越えるほど活況を呈するに至った。
 「虹のトンネル」が一定の成果をおさめ、神奈川大会の開催も決まったので、私は全国大会からの撤退を決意した。新しい人たちが全国大会をリフレッシュしてくれることを期待する一方、地元に戻って地域の理科教育に力を注ごうと考えたのである。そんなわけで神奈川大会の「虹・アラカルト」は「虹のトンネル」のミニ版の性格を帯びていた。

難産だった神奈川大会

 YPCは過去6年間、科学の祭典・全国大会にかかわってきた。ブースやワークショップの出展にとどまらず、運営スタッフを出した年もあり、祭典と共に歩んできたといっても過言ではない。
 各地に次々と地方大会が芽生えて成功をおさめ、ついに機が熟して神奈川大会開催の準備が始まった時も、YPCは地元サークルとして早くから全面協力の姿勢を打ち出していた。運営スタッフの推進委員には4名が名を連ね、出典した二つのブースは、演示講師も含め10名余のYPCメンバーのボランティアによって支えられた。
 しかし、神奈川大会実現までの航路は難航を極めた。推進委員会は委員長の人選も含めてなかなか骨格が定まらず、準備は出だしからつまづいた。そんな人事の混乱もからんで会場選びも二転三転し、要項の発表は開催日の5ヶ月前にまでずれこんだ。その後、推進委員の諸氏が遅れた作業の回復に忙殺されたことは言うまでもない。
 こうした混乱の背景に、教育派閥や好ましくない政治的な人間模様が見え隠れしたことは、それまでYPCという和気藹々とした集団の中で過ごしてきた私たちには、極めて意外なことに思われたし、そんなつまらないことで、祭典の準備事務が滞ってしまうことが残念でならなかった。
 神奈川大会は成功裏に幕を閉じた。しかし、健全な人間関係と協力体制なしにはこうしたイベントは成就しない。今後に残した課題は大きいといえよう。

主役は生徒だ

 さて、日頃いささかシラケた高校生たちを相手にしてフラストレーションがたまっているわれわれ高校教員とすれば、実験に目を輝かせ、打てば響くように反応してくれる祭典の「お客様」は魅力的だ。面白実験を求めてわざわざ会場まで足を運んでくれる観客だから、反応が良いのは当然なのだが、ともすれば、祭典での演示が、現場での授業よりやりがいのあるものと感じたり、自分がエンターテイメントの主役であるかのような錯覚を抱いてしまう、そんな一面がないでもない。教員にとって祭典は「部活動」に似た魔力を秘めている。
 部活動といえば、本校には「科学部」に相当する部活動がない。全国大会での「虹のトンネル」では準備・運営に多数の人手を必要としたが、その確保のために私は一般生徒からボランティアスタッフを募集した。苦肉の策だった。志願してくれた生徒たちは必ずしも物理の選択者ではなく、理科が得意という者でもなかった。しかしその彼らが、観客を前に生き生きと案内や説明をしている姿に、祭典への参加が自分の日頃の教育活動の中でどのように位置付けられるのかを自問してきた私は、一つの解答を見出した気がした。そう、主役は彼らだったのだ。

次のステップへ

 祭典というイベントは、科学振興を目標とした全国的なキャンペーンであるから、理科教師として協力は惜しまない。しかし、私たちの本務はまずそれぞれの現場の生徒を教育することだ。やはり私たち教員は現場で戦うべきだと思う。全国大会を成功させたのちに、各地に地方大会を育ててきた祭典事務局が最終的に意図しているのも、そういう地道な理科教育があまねく全国各地に根付くことなのだろうと思う。
 全国大会への参加を通じて、私は全国に志を同じくする多くの仲間を得、貴重な知見をも得た。そしてなにより、自分が今教えている生徒のすばらしい可能性に気づくことができた。今後はYPCや全国の仲間と共鳴しつつ、学校・地域という原点に立ちかえって理科教育の洗い直しをしてみようと思う。
 もうひとつ、科学の祭典が目指すべき次なる方向があるとすれば、それは「深み」ではなかろうかと思う。現在の祭典はお子様向けの面白実験が主体である。これをただ面白いだけに終わらせないために、喚起された好奇心を探求力や洞察力へと育てていくために、次の手を打つべきなのではないだろうか。科学の祭典で味をしめた小学生を中心とする「祭典エイジ」の子供達は、21世紀の中学生・高校生となり、やがて未来の社会を支えるようになる。この青年たちに与える次の教材を用意すべき時期が来ているのではないかと思う。
 対象としては地域を目指しつつ、視点はグローバルに持って、日本を、世界を展望し、未来を見渡した理科教育をしたいものだと思う。

99/08/25 物理教育 Vol.47,No.4 に掲載】


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