「科学館展示の今昔」

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「皆さんこんにちは。藤原清と申します。株式会社リテンという会社の代表をやっていますが、川村先生が理事長を務めておられるNPO法人サイエンスEネットにおいて、事務局長をやらせてもらっています。そういう立場も色々ありまして、私のやってきたことをこれからお話ししていきたいと思います。
  皆さんは、ものづくりっていうのはご存知ですか?色んなものづくりがあると思うんですが、私の場合は学校の教育の現場で使われる、理科の実験器具の製造販売に携わっています。そして、それと同時に、これからお話しします科学館の展示物を作ってまいりました。作るといいましても、企画段階から設計、製作と色々あるんですけど、特に設計の方を重点に進めてきました。約40年やっているのですが、その40年間で製作してきた展示物について、今日はお話ししたいと思います。」



【我が国の科学館のはじまり―科学技術館―
  ■昭和39年4月、日本科学振興財団が「科学技術館」(東京)を建設
  ■開館の当日は天皇皇后両陛下がご高覧】

「まず、我が国の科学館のはじまりなんですが、この東京理科大学の近くにあります科学技術館です。そちらが39年に開館されました。それ以前にも若干形は違うんですが科学館に属するものはありました。だけど、科学技術館としてきちっとしたものができたのが、これが初めてです。天皇皇后両陛下がご高覧なさって、その2日後に一般公開されました。」



「ここにあります表彰状というのは、その時の展示物の製作をした時にいただいたものです。これは前川科学っていう会社が協力しておりまして、そういう関係で、途中の設計段階からですが関わりました。」



「この写真は2段ロケットで、可動模型になっております。」



「中に色んな展示品を収めたんですが、その中身をちょっとご紹介します。これは試験水槽といいまして、長さ25mくらいの水槽の中に実際に水を張って、舟の流線型とか、水の抵抗をどう受けるか、とかを見ることができます。 これは透明のアクリル樹脂でできている釣り橋です。実際に人が渡れるようにしてあります。そういうところを体験していただくことができる。 先ほどありました2段ロケットもあります。こういうようなのを展示されました。 全体的に言いますと、今の科学館から見ると、この当時は実際の実物展示に近い展示方法をしてます。ですから全部、人がかなり協力しています。 こういう釣り橋とかになりますと、確かプラスチックのメーカーの東レですとか、そういう日本の大企業がかなり協力してできた館です。」



「それが39年から20年経って、59年になりますか、その時に20周年ということで発行された小雑誌です。その当時に前川科学という社名だったのが、東京前川科学っていう会社に変わりました。」



【科学館の普及
  ■各地方自治体による科学館の建設が急速に進む
  ■名称:科学館、科学技術館、青少年科学館、少年科学館、自動科学館、こども文化科学館、科学センター、児童会館、青少年文化センター、こどもの城 など】

「科学技術館という形で昭和39年にできましたが、それ以後、各地方自治体で、名前が科学館、科学技術館、青少年科学館、少年科学館、自動科学館、こども文化科学館、科学センター、児童館、青少年文化センターなどあります。あとは、こどもの城というのが全国に何ヶ所かあって、この中にもやはり科学館のような展示物が入っております。このように色んな名前で、総称して科学館となるものが多数あります。」



【科学館建設年表】

「これは科学館の建設年表ということで、今お話した科学技術館が39年にできています。その後に、古い順番に、名古屋市の科学館、京都市の青少年科学センター、広島、札幌、横浜。これは科学館ではないですが、科学万博つくば。宮崎と、大阪、鹿児島と作られていて、一番近い形では、2001年の日本科学未来館ということになります。」



「これは私の会社が関わってきた科学館です。多少省略されていますが、日本地図の中にしてみるとこうなります。全国的に色んな科学館に関わりました。
  具体的には、私が一番印象に残っているのは、この広島市こども文化科学館です。これが1980年にできたんですが、昭和55年の5月にできたということで、自動車のシミュレーターのナンバープレートを、特別に555にしていただきました。広島はマツダの地元でもあるので、自動車はマツダからの寄贈で、車種はRX7でした。この真っ赤なのを、工場のラインから1台いただきまして、真っ二つに切断してもらって、こういう形で納めてもらった。」



「搬入口がかつかつだったんですが、なんとか納まりました。これは、ボンネットから先がないんです。そこに映像を映すスクリーンをつけました。DVDとかはないですから、この当時はビデオテープで投影していました。また、制御装置も、今ですと、コンピュータ制御っていうことがあるんですが、この当時はシーケンサー制御もないんです。ですから、リレーとか、タイマーとかを組み合わせたような回路を組みまして、制御して映像をここに映しました。その映像は実際に車走らせて広島の市内を撮影したものです。そういうものを運転席に座って見られるようにして、実際に道路を走っている臨場感を味わってもらいました。ある程度、ブレーキ踏めば映像が止まるとか、そういうコントロールもできます。結構その当時は斬新で、かなり人気がありました。」


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